鮭とほうれん草のドリアとジェームズランゲ


暑いですね。
前に作ったフライパンのみのお手軽ドリアです。


f:id:stk013:20160809150513j:image

☆材料(2人前)
鮭     1匹
ほうれん草  1束
たまねぎ    3/4

ソース
牛乳        1.5カップ
バター           15グラム
小麦粉           1/2カップ
塩胡椒             適量
砂糖                 大1

黒胡椒        適量
ごはん      2杯
とけるチーズ             70グラムほど
たまご    一人一個

☆作り方
1.ほうれん草は一口サイズに、たまねぎは1センチ角の大きさに切る。

2.フライパンにソースの材料を入れて混ぜ、まぜられたら、鮭、ほうれん草、たまねぎを入れ、火を通す。

3.炊いたごはんにのせて、チーズをかけます。

4.たまごを半熟気味に焼いて、乗せて、黒胡椒をふりかけて、、

完成🍴



おいし〜〜い

結構簡単でしょ。きのことか入れてもおいしそうですね。

たまごと鶏論ってあるけど、
あれはいわゆるジェームズランゲの 「泣くから悲しい。」に似てない?
どっちが先なんでしょうか。

私は、何かがおこり、まず肩のあたりにズーンってきて、それが染み込んで、この体感は、悲しいだ、、、って思います。
昔は、悲しみという気持ちが先行し、体感など観察したこともなかったです。
多少の悲しいでは、わからないかもしれないですけど、とてつもなく悲しいとき、たぶん、猫背気味になる方は多いのではないでしょうか?
とても悲しいのにぴーんと正しい良い姿勢の方はあまりいないのでは、?

体感というのはむしろ感情そのものでもあるのか。感情というものは体感から起こるのか、体感から感情が起こるのか、いまいちわかりません。。





ツナとナスの野菜炒め


いろいろあって今日から魂の料理ブログになりました。


今日は出かけたくないので家にあったもので野菜炒めを作りました。
醤油ガーリック味です。

f:id:stk013:20160804070540j:image

☆材料
ナス   2本
キャベツ   1/4
ニンニク  2かけ
ニラ    3本くらい
ツナ缶   1個(豚肉の方がおいしいと思う…)

醤油  大1.5
塩胡椒  いい具合に
砂糖  ひとつまみ


☆作り方
ナスはお好みの大きさに、ニラは3センチくらい、キャベツは短冊切り、ニンニクはスライス、ツナ缶は汁ごと、フライパンにぶちこむ。中火で焼く。塩胡椒しましょう。焼きましょう。火が通ったら、醤油と砂糖を入れてよく混ぜ、火を止め…………

!完成🍴



おいしい〜。。ツナ缶だとお菓子っぽさがあるので豚肉がいいと思いますが買いに行くのが無理ぽだったのでこれで。
冷蔵庫の余り物は、なるべく早めにどうにかしたいですね。
どんどん買ってしまって捨ててる人はたぶん掃除が下手なんじゃないですか?
目にとまったものに意識が移ってしまう人は、何をしたかったか忘れがち。
だから、冷蔵庫にたまねぎあっても、またダブらせて買ってきてしまう。

雑念は本来の目的を見失います。

見てくださいこのツナ缶。
缶詰は缶詰です。
それが本来の目的ってやつです。



【怒りというもの】


※とても理不尽なものを除きます、日常の些細な怒りについてです。

感情というのは、自分の中から湧き上がるものです。外的要因があり、湧き上がります。
寂しさ、悲しさ、そのあとで湧き上がるのが怒りです。
例えます。Aちゃんに悪口を言われているというのを、Bちゃんから聞かされました。あなたは、ショックを受けます。悲しいが湧き上がりました。なぜそんなことをされたのか?ここで、自分が悪くて言われて当然だったとわかった場合、怒りますでしょうか?でも、理解が出来ないとき、許容出来ないとき、他人に怒りが湧き上がります。
「なんで悪口言うんだ?私はそこまで悪いことをしていない。意味がわからない。理解できない。腹が立ってきた。」理解されないことが理解出来ません。
誰が理不尽でしょうか。誰が変でしょうか。

人間の中には、ものすごくいろいろありますよね。絶対他人には理解できません。他人ですから当たり前です。
ほとんどの人が、そんなのわかっていると言うと思います。
では、なぜそこを理解していても怒りが湧くのですか?
わかってないからです。

おまえが理解しろ理解しろおまえのせいだと思っているからです。理解されないから怒る。
自分と他人の区別がうまくつかず、割り切ることが出来ません。
他人に甘え、乗っかって、依存心があるからです。

この場合、誰が理不尽だとか誰が正しいとか、そういう話ではないんじゃないでしょうか。

怒りというものが本来存在していない、というわけではないです。
極端な話、監禁されているレベルで本当にどうしようもないとき。
それは理不尽なのではないでしょうか。
人間って本来、本当の理不尽に対して怒りが湧くのでは。

私も理解しろと怒ります。それ以上によく逆怒りします。
そんなに怒んないでいいじゃん…ギャー;□;ってなります。
それもまた、理解を求めるからかなといまは思ってます。

過去に対する責任や罪悪感

過去の行いに対して、あのときああすれば、ということを考える人は多いと思うのですが、人間はそのとき出来ること以上のことはできません。例えば、あのときもっと考えて行動していれば、、というのはそのときもっと考える能力や余裕がなかった、もしくは甘えてもまだ大丈夫である、という現実の認識をする能力しかなかったと思うので、どうしようもないのです。後悔することがわかっているのなら、そもそもそんな行動は取らなかったと思います。
また、過去の行動をいまさら変えることが出来ない時点で、例えば、他人を傷つけたことはどうしようもない。いくら謝り償っても、絶対に治りはしません。ただ、許されます。許されると傷ついた気持ちは昇華され、いわば極寒の地であった気持ちに暖房を添えることが出来ます。極寒であった土地を消すことは、不可能です。過去は変えられませんからです。でも、暖房があれば寒くないですし天候が悪ければ晴れるかもしれません。ある程度まで土地がよくなってもまだ自分を責めるなら、そのあとは自分を同じように許してください。過去は土地と考えられます。土地も変わり、時間が経てば風化したり花が咲いたりもするかもしれないですが、土地は消えません。
また、つらいからなんとかして!という方を他者が助けることはできません。感じるということができるのは、本人しか出来ません。そしてそこが一番大切です。他人があれやこれやしても、本人がなにか動かなければ無駄です。それどころか、助けると言ってくれたのに助かってないぞ!もっとだ!もっと自分のためにがんばれ!すら言い始めたら、もちろん、こちらはどうしようもないですよ。逆にこっちが疲れ傷つきますね。先の話につなげると、極寒の土地に暖房を設置することを許すのは他者ではないです。お互いに許そうという気持ちがなければ不可能です。お互い成長してまた時がくれば許してもらいましょう。そのときはその能力がなかったのだから。一生どうやっても許してもらえないときは、もう仕方がないので、反省しておわり。出来ないのですから無理なんですよ。なるほど許してもらえないときはそれでいいのか、ではなく!許してもらえない間に出来ることは、自分を磨くということや、この失敗はもうしないという反省です。そしたらいずれ許されることはあるかもしれません。相手が近くにいるのなら誠意を見せてもいいですね。許そうという気持ちがなければ相手も許さないからです。責任があるからというのは責任をとらなければ自分の気が済まないとも言えます。(だからいいわけじゃなくて相手の気持ちも気が済まないことがあるのを忘れないように)でもたいしたことない問題ならそんなに気に病みすぎることはないと思います。。