過去に対する責任や罪悪感

過去の行いに対して、あのときああすれば、ということを考える人は多いと思うのですが、人間はそのとき出来ること以上のことはできません。例えば、あのときもっと考えて行動していれば、、というのはそのときもっと考える能力や余裕がなかった、もしくは甘えてもまだ大丈夫である、という現実の認識をする能力しかなかったと思うので、どうしようもないのです。後悔することがわかっているのなら、そもそもそんな行動は取らなかったと思います。
また、過去の行動をいまさら変えることが出来ない時点で、例えば、他人を傷つけたことはどうしようもない。いくら謝り償っても、絶対に治りはしません。ただ、許されます。許されると傷ついた気持ちは昇華され、いわば極寒の地であった気持ちに暖房を添えることが出来ます。極寒であった土地を消すことは、不可能です。過去は変えられませんからです。でも、暖房があれば寒くないですし天候が悪ければ晴れるかもしれません。ある程度まで土地がよくなってもまだ自分を責めるなら、そのあとは自分を同じように許してください。過去は土地と考えられます。土地も変わり、時間が経てば風化したり花が咲いたりもするかもしれないですが、土地は消えません。
また、つらいからなんとかして!という方を他者が助けることはできません。感じるということができるのは、本人しか出来ません。そしてそこが一番大切です。他人があれやこれやしても、本人がなにか動かなければ無駄です。それどころか、助けると言ってくれたのに助かってないぞ!もっとだ!もっと自分のためにがんばれ!すら言い始めたら、もちろん、こちらはどうしようもないですよ。逆にこっちが疲れ傷つきますね。先の話につなげると、極寒の土地に暖房を設置することを許すのは他者ではないです。お互いに許そうという気持ちがなければ不可能です。お互い成長してまた時がくれば許してもらいましょう。そのときはその能力がなかったのだから。一生どうやっても許してもらえないときは、もう仕方がないので、反省しておわり。出来ないのですから無理なんですよ。なるほど許してもらえないときはそれでいいのか、ではなく!許してもらえない間に出来ることは、自分を磨くということや、この失敗はもうしないという反省です。そしたらいずれ許されることはあるかもしれません。相手が近くにいるのなら誠意を見せてもいいですね。許そうという気持ちがなければ相手も許さないからです。責任があるからというのは責任をとらなければ自分の気が済まないとも言えます。(だからいいわけじゃなくて相手の気持ちも気が済まないことがあるのを忘れないように)でもたいしたことない問題ならそんなに気に病みすぎることはないと思います。。